abroad in mars

頭良すぎて、つらい

偶然性欠乏症

最近、ほんとに身近に面白いと思えるやつがいなくなってなんとなく息苦しいと感じています。ふとこれってもしかして日本国民の"変エネルギー"が全部インターネットで発散されてるからなのかという仮説が浮かびました。僕は人の"変エネルギー"を食べていきているので、身近に変なやつがいないと飢餓状態になります。人が一目見て面白いとそろっていうことより、誰もいない過疎っているコンテンツに惹かれるのもこのせいです。でもって個人的に高校卒業とともに親友が地方の数学科にいってしまい、ワタシは毎日のリアルから貴重な"変"が加速度的に減弱していくのを感じ、大学生になってできた新たな関係性では強く"律"が重んじられ、言いたいことも一瞬ためらってしまうことに疲れを感じるようになりました。てなわけで、自分のアンダーグラウンドエナジーを発散するためにブログ始めます。きゃっほーいパチパチパチー👏シャカシャカ

というわけで早速語って行こうと思います。

好きな洋楽とか本とか語ることは山ほどありますが、精神的に切実なことをまず語ることにします。というわけで、議題はポケモンカードについてです。

大学生になった昨今、クローゼットのなかにしまっていた箱いっぱいのポケモンカードを掘り出してきて、にわかにポケモンカードにかけていた情熱を思い出しました。あーこのカードめっちゃエモいわーと思うのもつかの間、

収集欲がなんと再燃しだしたのです。

それはさながら何十年も行為をしていなかった老人が急にムラムラしだしたようなもので、僕自身としても全然予想だにしないことでした。

まあ本能だから仕方ないので集めようと思った。

思ったはいいのですが問題はシェアがなんとなく下がっててコンビニにももうなかなか置いてない。

あといい年した大学生がポケモンカードを買ってていいのかという哲学的命題。店員のおねえさんに白目でみられないかというのが不安なのです。(コンビニでエロ本を買うやつはワタシの崇拝の対象ですらあります。)

小学生の弟でもいれば、

「にいちゃん、これ欲しい」と言わせ

「しょうがねぇなぁ〜、お前まだポケモンカードなんかやってんのか〜特別にボックスセットひとつまるごとな」

「ありがとーにいちゃん、ありがとう(涙)」

と良い兄を演じてことなきを得るのですが、最近ヒゲもそってない大学生ひとりでとなるとそうはいきません。

悔しいことですが、世は世、Amazonでポチるしかないだろうと思い立ち、さっそく画面へ向かい、そこでようやく気づいたのですが、ボクは最近のポケモンが全然わからないのでした。おまけにポケモンカードと調べてでてきたカードを一瞬なんか別のカードとかんちがいしてdismissする始末。それもそのはず、表紙にはアニメキャラっぽい人間が刻印されており、ポケモンカードは"ポケモン"のカードであると認識していたオールドタイプの旧式頭脳であるワタクシメにはちっとも点と点がつながらないのでした。

えっ、だってあれだよ、これポケモンだよ?

なにこれ、ト、トレーナー?

愛していたものが、いつまでも同じでいてくれるはずもなく、ボクのいない間にすっかり変わり果ててしまったという寂寞感を胸に僕はそっと画面を閉じました。

ところで、ポケモンカードは一枚一枚が本当に芸術品ですね。大昔、喫茶店の全盛期には各店舗が店オリジナルのマッチ箱をつくって無料で客に配っていて、さまざまな意匠が凝らされたこの小さな箱を収集するひとが後を経たなかったと聞きますが、ボクにとってのポケモンカードもおおよそこれに当たります。つまり最小単位のなかでの芸術。8.5×6.2cmという制限された表現媒体のなかで、逆に制限を突破して見せようとする試み。

とくに、ありたみつひろさん と はらだみどりさんの描くポケモンカードのイラストは思い入れがあります。一枚一枚ものすごく誠心誠意かけているのが伝わる。遊戯王カードとかだと誰が描いててもわからないじゃないですか、クレジットがポケモンカードみたいにカード中央なり下縁なりに書かれてないから。この二人にはボクの少年時代の愉しみの幾分かは確実にここからきてましたよとお伝えしたい。いい絵というのは高尚な題材を選ぶことは必要なくて、たとえポケモンでも芸術品になりうるというのがボクの思うところです。子供相手だから手を抜くどころか、子供相手だからこそ真剣に描いたのだと推察します。とにかくあっぱれなイラストです。逆にこういうの手を抜くひといるだろうなと思ったら、やっぱりいました。ポケモンカードの裏が違うデザインだった90年代から描いてらっしゃる方のようですが、背景が毎回明らかに写真をぼかしてつくったもので、その上にポケモンを適当に配置するという、僕なんかが思いついて実行しそうな浅薄なことをして、時間を短縮し回転率をあげています。むしろ、逆に一枚いくらという給料の支払い方だったらそうならない方が不思議なくらいで、まあこの人はこの人なりに一生懸命やってたんだろうとは思うのですが、それにしてもこの人の描いた巨大なポッポが茶畑を蹂躙しているのは滑稽です。ネットから茶畑の画像を引っ張ってきて、少しだけボカシを入れてさいご適当にポッポはっつけたのがバレバレ。子供をなめるのもいい加減にしろと小声で言いたい。

ボクは実は日本のポケモンカードだけではなく、いろんな国のカードをもっていて、英語のカードの他にタイ王国ポケモンカード(ミュウツウ)なんかも持ってたりします。これは飛行機に乗ってタイに旅行に行ったとき偶然航空会社から旅客機内でもらったもので、いまでも当時うれしかったのを覚えています。思うにひとって思いがけない良いものをもらえたときが一番嬉しいですよね。Amazonでポチポチしてもどうにもハッピーになれない人というのは、ポケモンカードのように中になにがあるか開けるまでわからないものを面白いと感じるのかもしれません。というわけで現代では不足しがちな偶然性を補っていこうというのが結論で、オチてるのかオチてないのかよくわかりませんが、またこんど。